はぴひび

文系/院卒/女/総合職挫折/現在一般事務兼主婦

トラウマ・後悔・憎悪を抱え続けて人はなぜ発狂しないか

大なり小なり、それなりに生きてくれば人にはトラウマだったり重い後悔だったり人格の変わるような憎悪だったりを背負いつつ生きていくのだろうということはなんとなくわかっていた。

その感情・記憶の大きさは人によって違うにせよ、その人の中で1番重たいものというものはあるはずで、その1番重たい何かを更新し続けながら、つまり 徐々に徐々により重たくなっていく1番重たい荷物(感情・記憶)を背負いながら生き長らえるのは、ある種の絶望だなと思っていた。

それならばなぜ、多くの人は正気を保っていられるのだろう。

 

一般的で、自分なりに納得のいっていた回答は『人は忘れるから』だ。どんなトラウマ・後悔・憎悪を持っていても、人はいずれ忘れる。小学校のときの1番楽しかった思い出を忘れていくように、今苦しいこともあと数十年すれば忘れていく。完全に忘れることはできなくても、薄れていくことはできる。

特に私は、同年代と比べてもあまり記憶力がよくないので それはとてもしっくりくる回答だった。時間はかかるにしてもそれらはきっと忘れていくんだろう。実際、忘れていった苦しく悲しい記憶はある。思い出そうとすると思い出しそうで、なんとなく意識にのぼらないように意識してはいる(?)けれど、忘れたな、ということをわずかに感じた程度には覚えているからだ。

 

でも、前職のパワハラや実家の家族だとかを経験することで、『人は忘れるから』という回答を胡散臭いと感じるようになっていった。時間が解決してくれるだなんて世間は言うし実際に時間が解決してくれたトラウマ・後悔・憎悪はあるけれど、今持ち合わせているこのトラウマ・後悔・憎悪を、果たして時間は解決できるのだろうか。これは今までで1番重たい荷物で、忘れるにはぼちぼち夢に見るし、頻繁に仕事中に思い出すし、自分の大半の時間に無理やり割り込んで私の人生に噛み付いてくる。こんな状態で本当に忘れられるだろうか。私が思い出すたびに、受験勉強の反復演習さながら記憶として定着してしまうのではないだろうか。

 

 

話は大きく変わって、最近『ハイキュー!!』というバレーボールを題材にした少年マンガを読んでいる。個人的には『ノラガミ』以来のどハマり具合で、登場人物たちの言動がカッコよく、私の気持ちを動かしていく。私は中学の時にバレーボール部だったからなおのこと かつての私と重なり合って気持ちが大きく波打つ。『下手くそだから楽しくない』『勝負事を楽しむには強さがいる』という言葉が、中学のときの私を納得させる。

私はバレーボール部でスタメンだったけれど、プレイすることは大嫌いだった。もともと協調性がないこと、勝負事が嫌いなこと、運動神経がないこと、スタミナが無いからすぐ過呼吸を起こすこと、先生の怒鳴り声、恐ろしいスパイク、ヤル気のある部員とヤル気のない部員との温度差に苦心してしまうこと、暑いこと、寒いこと、全てが嫌だった。なぜスタメンだったか不思議なくらいだけれど、やれと言われたことは全力でやれるいい子ちゃんだったので、コーチ受けは良かったのかもしれない。しかしまぁ真相は闇の中だ。そんなチームメイトを入れたチームだから、練習がきつい割りにそこまで強いチームではなかった。2年先輩や1年先輩のチームに比べて私たちの代の勝率は良かったけれど、それでもまあ、弱小は弱小だ。そんな弱小チームでも、クジ運によっては弱小と当たることでいい試合をすることがある。それが中3の夏の大会だった。私たち3年生にとっては最後の試合で、「これで清々するなぁ」なんて思いながら試合をしていた(んじゃないかなぁたぶん)。でも、弱小 VS 弱小。試合はいい勝負になった。ギリギリまでどちらが勝つか分からなかった。毎年、コーチは試合に負けそうになると思い出作りとして、ベンチメンバーを全員試合に出した。私の代もそうだと思った。でも、コーチはそんなことをしなかった。私の代だけ、勝ちにこだわって、スタメンのまま試合を続行した。そんで、負けた。ベンチにいた親友の表情が今でも忘れられない。先輩のときは全員試合に出していたのに、親友は3年間ベンチで中学の部活を終えた。

人にとってはたいしたことのないことなのだろうけれど、私にとってはとてもキツかった。3年間我慢して我慢して過呼吸になってゲロ吐いて、その集大成が、接戦負け・親友の公式試合参加数0。得たものは、嫌なことを全力でする我慢強さと、バレーボールにおける後悔。事あるごとに思い出しては気づかない振りをして、荷物の一つとして墓場まで背負い込むつもりで持っていた後悔だった。

けれど、『ハイキュー!!』は、それを上回るストーリーで魅力的にバレーボールを描く。バレーボールがこんなにも戦略的で、こんなにもかっこよくて、こんなにも誇りを持てるスポーツであると力づくで私をぶん殴る。そして、わずかながらも「中学の時に大嫌いでも、今もこの先も嫌いかどうかわからないではないか」と思わせる。「バレーボールをやったことがあってよかった」と思わせる。

なんとも恥ずかしいながら、「バレーボールをやったことがあってよかった」と思った瞬間、涙が出た。私は下手だった。何も楽しくなかった。けれど、思うように体が操れた瞬間、サービスエースでチームメイトが喜んでくれた瞬間の快感は経験として知っている。そして、チームを勝利へ導くだけの実力はなかった。親友はずっとベンチだった。それはもう、しょうがなかった。私はその程度だった。ようやっと10年以上の年月をかけて、私はそんな私を認められた。10年以上の年月をかけて、私は当時の負けを悔しがることができた。

 

トラウマ・後悔・憎悪を抱えても、それを単なる「トラウマ・後悔・憎悪」としてとらえるのではなく、別の視点で捉えることができたら、それはもう「トラウマ・後悔・憎悪」ではなくなるのかもしれないという気づきを得た。

その人のその時にとって1番の重い荷物は、人生経験によって多角的視点を得ることで、荷物ではなく 豊かな人間形成に役立っていくということもあるんだね。

それには時間における記憶の薄れも関係しているのかもしれないけれど、視点や物事の捉え方の変化も関係するんだと思いました。