はぴひび

文系/院卒/女/総合職挫折/現在一般事務兼主婦

与えられた役割を全うすることと選択した役割を全うすることの対比について

こんにちは。かつです。

キャリアウーマンという親の敷いてくれた理想のレールの上を走っていたと思ったら、体がもたなくて気付くと定時帰りの一般事務になっていました。事務職の癖に外国語の電話がかかってくると、何語なのかすら分からなくて焦りを覚えます。方言を数年使っていないだけで忘れちゃうようなヤツの第二外国語となると、尚更ひどいものがありますね。親のおかげで小学校のころから英会話をさせてもらってたのにもったいないことをしているということを最近強く感じます。

 

母は過保護なくらいよく面倒を見てくれる人でした。自分の親(私にとっては祖父母)が放任主義な分、自分にやってほしかったことを代わりに私にすることで発散していたようでした。そのため、英会話に通わせてくれたり塾に通わせてくれたり、それなりに恵まれた生活を送っていました。母親としては、一人で生きていけるだけの知識と社会的地位をもってほしかったようで、その母の思いに沿うように私も、「旦那さんを手のひらで転がしながら専業主婦をやるぞ!」みたいな人ではなく、「働かなければ」という人になったと思います。そのため、両親の前では割としっかり者のような、どこか冷静な自分であるよう演じていた節がありました。

 

 

人が与えられた役割をこなすこと

100点満点とまでは言いませんが、私は一応、親の望むような学校へ行き、親の望むように就職しました。下駄屋の息子が下駄屋に、魚屋の息子が魚屋になるような感覚と同じような感じです。こうすることで、私はいったい何者なのか、将来どうしたらよいのかといった不安は少なく、したがって、青年期特有のアイデンティティの確立といった「自分が何者であるか」といったことはそこまでないように思いました。家業の跡継ぎなんかだと、見本が身近にいるため真似しやすく将来への迷いが少ないといったこともあるかもしれません。

自分に関する最終的な決定というものは精神的にも大量のエネルギーを要しますし、時間も大量に費やすでしょう。文字にすると本当に簡単なことのようですが、高校生のときに進路に悩んだ自分を思い出すと、それでも毎日精神的にたいへんだった気がします。

都会なんかは、親とまったく関係のない会社へ勤めるけれど、現在の日本の片田舎なんかでは家業を継ぐことがそれなりにあるので、みな会社勤めをしている東京に驚きました。

問題といった問題は特にありませんが、欠点として、これが野放しにされると職業選択の自由がないということが考えられます。職業選択の自由がないというわかりやすいかたちで顕在化するのならいいですが、そういうことは職業を選択する以前、進学を選択する時点から影響します。電車も走っていない片田舎、駅まで車で20分なんてところに住んでいると、まず、高校を卒業したらそれで充分ということになります。近くに大学がないどころか、大卒すら絶滅危惧種、伝説の類であるため、大卒がリアルにイメージできません。加えて、親も祖父母の代も高卒・中卒であり、また、それで生きてこられたという御家の歴史を持っているため、数百万という金銭をかけて良い大学へ進学させる気もありません。よい大学に進学させるどころか、近所の高校へとりあえず入学させることまでしか考えが行きません。そうするとおのずと職業や生涯賃金は決まってきます。自分で職業を決めようにも、その前段階、高校の時点で就職先の候補が狭まってくるのです。

 やりたいことがやれない、何がやりたいことなのかもわからない、遊ぶところもないのでどういった遊びがあるのかもわからない、この生まれ育った土地から出ていくインセンティブもない。でもその代わり、未来がほぼ決定している、という恩恵が得られるわけですね。良くも悪くも、親と同じような人生を送るだろうという未来予想図が明確に描けるわけです。これがもし、生活する地域も環境も、親や祖父母と全然違うことになったらどうでしょうか。しっかりと生きていけるかわからないといった不安と、今後一生付き合っていくことになります。

 

役割を選択すること

自分で自分のことを決めてしまうと、もう考えることをやめて生きていくことは難しいでしょう。親世代の人たちと同じような生き方をしているときは、ただ何となく生きていれば、そこまで将来に不安を感じることもなく生きていけるのだと思います。しかし、自分で選んだそのものを選べば、誰かのせいにして生きることは減るでしょう。変化する楽しさとかいうのがあるかはわかりませんが、生まれも育ちも誰のせいにすることもなく生きていけると思います。なぜなら、今の人生を選んだのは自分のせいだからです。そしてきっと、人の心を動かすのはそういう人だと信じています。世の中には新しいことに挑戦する人々を鼓舞する音楽が世にあふれかえっていて、それはきっと、ただ自分の意志だけで頑張るには限界があるくらいに、生きることが厳しいからでしょう。ロールモデルがいないということが、パイオニアになるということが、どれだけ難しいかがよくわかります。

 

話は変わって、私の好きなゲームにMOTHER3というものがあります。

 

あまり魅力的な説明ができないのが申し訳ないのですが、そこに出てくる村人たちは、みな何かしらの役割をもって生活しています。

 

 宿屋だったりドロボーだったり鐘をつく人だったり。それはそれはとても平和な村なのですが、外部からの侵略(?)によって村の様子がガラッとかわっていくのです。田舎で親の仕事を継ぐものだと思い込んでいた人たちが、変化の多い時代に巻き込まれ、これまでのような閉鎖的な生活が送れなくなっていく様子は、田舎暮らしをしていた幼いころの私の世界と、都会で暮らす今の私の世界と対比できました。ゲームの主人公は、そんな閉鎖的な世界から異質な破壊者を排除し、世界を解放していきます(と私は解釈しました。ラストは諸説あり)。

 

私も、そんな役割が決められた毎日なんかとは違う日々を送りたいと思います。決められた毎日は単調で退屈で、きっと何かがくすぶったままになるような気がします。

人と同じことはしていたくない、自分は特別だと実感したい……そんな、不器用で回り道で苦しさの多い毎日でも、誰かの糧になってくれたらなぁと思います。