はぴひび

文系/院卒/女/総合職挫折/現在一般事務兼主婦

満足している現状とその思考過程をつらつらと(途中)

尊敬する先輩がいて

社内の人間関係も悪くなくて

定時で帰れて

主婦なのに旦那さんのための夕飯を毎日作らなくてよくて

だからジムへ行けて

身も心もさっぱりできて

活力の湧く漫画が読めて

そんな日がこれからも続いていくだろう気がして、

 

幸せな人生ってこういうことなんだろうな。

 

幸せになりたいと多くの人は思うのだろうけれど(なぜ私が私を幸せにする必要がるのか、とか考えた時期があったので、幸せになりたいと思う人はそう多くない可能性もあるが)、特に何をしたら幸せなのか、どういう状態が幸せなのか分からないときというのがある。

楽しいとも嬉しいとも違う、幸せという概念は、「具体的にどうしたらいいか」という点で人によって大きく違ってくるし、「具体的にどうしたらいいか」の「どう」の程度も、その人によって違う(一般的に、幸せのハードルが低いやら高いやらと表現される)。

だからかもしれないが、幸せになる方法といった本は世に多く出回っていて、でも完璧に自分にマッチした内容のものなんてそうそうない。きっと自分で自分を幸せにするしかないのだろう。

でも、

それがこの上なく難しい。

 

どうしたら幸せなのか、そもそも何をすると嬉しいのか・楽しいのか、何がしたいのかすら分からないときに、『あれ? そもそもここまで頭つかって自分を幸せにする意味とは?』といった方へ意識が傾いてしまうともうダメ。議論終了。現状でよくね? 多少不満はあるけど我慢できなくもないし。それよりねみーわ。で、ただその日を上手くやり過ごすことに集中してしまう。そうなると、幸せとは何かを自分で見つけることは、空から2億円振ってこない限り難しいだろう。

上記の理由とは別パターンで、『いやもちろん、2億円ほしいし、起きた時間に会社行きたいし、なによりベーシックインカム的な感じで働きたい人だけが働く社会になって自分は働かなくいていい生活したいし、おいしいもの食べたいけど、、  今の生活もそう悪くないよ。健康で文化的で最低限度の生活を、大切な人たちと過ごしているからね』という人もいて、どちらかというと今の私の状況はこちらのパターンにあてはまる。でも、これもこれでどうなんだろう、と思ったりする。

現状に不満はない。それどころか、去年の今頃と比較したら月とスッポン、百点満点の毎日を送っている。でもこれって、現状維持の状態であり、わずかながらに存在する上昇志向の私が不安げにこうささやく『それでいいの?』と。

それに、『必要は発明の母』だ。現状に不満がない限り、必要なんて物事も発生しないから、発明なんて(よほどのガッツと知識がない限り)できっこない。発明とまではいかなくとも、何かしらのアウトプットができる人になりたいと思っているからなおのことこのままの私じゃだめだろうなぁ。

 

幸せについて考えているとだんだんと幸せではなくなってしまう。

幸せをテーマにするのは、難しいなぁ。