圧倒的な表現に出遭うと行動欲がなくなる話
こんにちは。かつです。
おとといから『ハイキュー!!』というジャンプ漫画を読み始めました。
(うまく貼れてるかな? どきどき……)
ハイキュー!!【期間限定無料】 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)
- 作者: 古舘春一
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2017/08/19
- メディア: Kindle版
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高校生がバレーボールをする王道のスポ根漫画なんですけど、何がすごいって、お話ももちろん面白いのですが、バレーボールのあるあるの頻度がすさまじいことです。
トスがすっぽ抜けてパスした人と反対側にボールが飛ぶ…というより落ちることや(あるある)、ブロックやアタックを飛び続けるごとに重力との戦いになり体が2倍にも3倍にも重くなることとか(あるあるある)、お見合いとか(あるあるあるあるa...)、どんぴしゃでアタックが打てた時の気持ちよさとか (めったにない)、
もう10年もバレーボールなんてしていないのに、やっていたころの記憶と重なってとてもすがすがしい気持ちになります。
異能バトルみたいになるスポ根漫画はよくありますし、そちらもそちらで大好きですけれど(黒子のバスケとか超好き)、『ハイキュー!!』は部活として面白い漫画である点で優れていると思います。
バスケは小学生のころのミニバスしか経験はありませんが、スラムダンクを見ているようなリアリティが『ハイキュー!!』にはある気がします。
(実際、ここまですごいセッターはいないでしょ、というキャラクターはいるのですが、まぁ、ジャンプの割にリアリティがある、ということで)
ところで、ここまで有名なコミックス、私がわざわざ日記に書かずとも素晴らしい書評はたくさんあるでしょう。本題はこれではありません。
で、まぁ、今回何が言いたいのかといいますと、
日記に書くことがない、ということです。
日記を書くことに飽きたわけではありません。書きたくないわけでもありません。本当に書くことがないのです。
これは、美術館へ行っても『よし! 油絵を描こう! 10年後にはモネになるぞー!!』とならないのと同じで、
かっこいいマシンにさわっても、『よし! このマシンを作ろう! 3年後にはこれよりハイスペックな機材を作って俺が世界を変えてやるぜ!!』とならないのと同じです。
何が言いたいのかというと、人は圧倒的な技術差や経験差を目の当たりにすると、インプットに夢中になって、『しばらくこの絵を眺めていたい。画家の人生を知りたい』『しばらくこのマシンで遊びたい。何ができるのか? これはできるか?!』と何かを生み出す気がなくなるなぁということです。
それだけでなく、『何がどうなってこんな絵が描けるのだ? さっぱり分からん。分からんが、すてきだなぁ』とか、『何がどうなってこいつは動いているのだ? さっぱり分からん。分からんが、便利だなぁ』といった感情になってしまって、新しい何かを生み出す気力がわかなかったり、新しい何かを生み出せそうな余地がなくなってしまうなぁと思いました。経験的にもそうですけれど、きっと多くの人が感じたことがあるのではないでしょうか。
自分もできそうだから、手が届きそうだからやってみるのであって、圧倒的な完成された何かとうっかり遭遇してしまうと、何も生み出せなくなってしまいます。
今回の場合は、『ハイキュー!!』という素晴らしい漫画の先が気になって、インプットに夢中になっているために何か新しいことや楽しいことを届けたいという思いに駆られないといったところです。
今までは、少々変わった少年少女がbit数もそこまで必要ないマシンに触ってプログラムを勉強する、、、そして現在優秀なエンジニアになる、といった順序で成長してきたのでしょうが、今の高校のレベルの知識でプログラムを勉強しようと思う少年少女がどれくらいいるだろうか。今後の技術大国(だった)日本はどうなってしまうのだろうか。と思っていましたが、最近は高校で勉強するようにもなるらしいですね。(もう勉強しているのかな?)
私は大学でプラグラムを勉強して、まったく適正が無く授業のある日はストレスで心臓が痛くなるというアホみたいな経験をしましたが、それでもプログラムができたらと思う日は少なくありません。できなくても死にはしませんが、きっとどんな成人より優秀で人の役にたてる人たちになれるでしょう。(プログラムを勉強してきた成人がまだ少ないため)
私もプログラムの本でも買おうかなぁ。
ここまで読んでくださりありがとうございました。