はぴひび

文系/院卒/女/総合職挫折/現在一般事務兼主婦

院生生活と書けない修論について

こんにちは。かつです。

血管年齢を測定したら『18歳』と表示されて「ふぅん……」と思ってたんですけどよく考えたら18歳って10年前のことでした。これからは積極的に自慢していこうと思ってます。

 

さて、「高校生のとき」と言うととても最近のような気がするのですが、10年前と言うと、その時間の膨大さに圧倒されてしまいます。そしてその時間の膨大さに比例して、記憶も薄れていっちゃうんですね。高校生のときと言わずとも、院生のころの記憶でさえあやふやになってきたので、今回は院生のときのことを徒然なるままに書いてみようと思います。

 

  1. 院進学を決意するまで
  2. 院進学をしてみて
  3. 大学院を修了して

 

1.院進学を決意するまで 

私の在籍していた大学はいわゆる底辺大学のようなもので、学生どうし自虐的に『吹き溜まり』と自分たちを揶揄していたものでした。とにかく上京したい高校生(当時)が、上京の理由づけに進学する学校のようなもので、学力としてはあまり褒められたようなものではなかったです。しかしながら、マウンティングをするような、鼻につく自慢をするような人がいないのも確かで、『この大学の就職率のよさは、身の丈を知る人が多いからだ』と自分たちでいうほど謙虚な人たちの集まりでした。

そんな中で、ひょんなことから他大学の方々との交流を通してなんとなく『研究者ってかっこいいなぁ』と思うできごとがあり、そのようななんとなくな形で院進学を考えるようになります。加えて、私の中で働くことの必要性がよくわかっていなかったというのもあり、私の就職に対するインセンティブは限りなくゼロへと向かって行くのでした。

個人的にはこの判断は、『学生』という身分を謳歌するには誤った判断だと思っています。反対に、この院進学をすることで『人生』を良い方向へ向けられたのではないのかとも思っています。まぁ、今の自分を肯定していないとやってけない程度の人間でしかないので、この院進学が良かったのか悪かったのか、客観的に判断することは今の私にはまだできないのですけれども。

 

さてこのように、院進学に対するわずかな積極性と、就職したくないという強すぎる消極的理由により院進学へなんとなく舵をきってしまった私は、死にそうなほど辛い院生生活を送ることになります。

 

2.院進学をしてみて

上記のことから、特に研究したいことがある訳でもない上に、そこまで頭もよくない人が大学院へ進学することとなりました。院試(大学院へ進学するために受ける試験)も、学部と同じ大学であれば授業内容でなんとかなる程度でしたし、実際に大学受験と比べたらそこまで勉強もしなかったような気がします。院試のストレスで、睡眠中に口内を噛んで寝起きの口の中が血だらけになるという不健康な毎日を過ごしはしましたが、それでも入学(皮肉として入院とも言う)することができました。

 

私の専攻は経済学でした。一般的な文系研究室は理系研究室と違い、テーマを自分で決めていくことから始まります。理系の研究室は教授の行っている研究テーマに沿った内容を行うために半ば奴隷のように扱われますが、テーマ決めで悩むという話を聞くことはあまりなかった気がします(私のように何もテーマがなく院進学する人がいないということもあります。)。私の配属していた研究室が放任主義の先生のもとであったこともあって、無償の労働力のように扱われることは一切ありませんでした。先生やドクターの研究を手伝うときは時給¥900くらいでお金が出たり、好きなペースで行えたので帰宅のできない社畜のように扱われることは一切なかったです。

院生になり、研究テーマが決まらない日が何日も何日も続きました。なんとなくの方向性は決まっても、それに具体性を持たせ、なおかつ実際に行えるようになったのはもう院生になって19ヵ月も経っていたと思います。

自分から教授に働きかけることができない消極的な人間であることや、相談しようにも何を相談したらいいか分からないということ、教授にテーマが決まらないと言ったところで『でもそれは自分で決めることだからねと言われてしまうのでは』といった不安などがあり、私の院生生活は論文を読むだけでした。しかもその論文を読むというのも、私は論文の読み方が下手で、英文を和文に翻訳はするもののそれを理解することができませんでした。頭が悪いということをここまで呪った日々も、受験生以来でとても苦しかったです。実際にその論文の意味を理解することができたのも、もう修論を書き終えて口頭試験の直前だったり、あるいは就職してからpcのデータを整理していたときにまとめた論文を暇つぶしに読んだ時に『そういうことか!』と理解したり……。ほとんど手遅れでした。

次第に私は研究室を無断で休むようになります。就職活動や体調不良を口実にゼミを休み、私は研究室に入れなくなりました。一寸先は闇とはよく言ったもので、何をしたらいいのか分からないという恐怖を味わいました。また、研究室へ行けなくとも何かしら研究に関わる何かしらをしなければという意識から、アルバイトもできなくなりました。実家からの仕送りは学費しかなく、生活費は奨学金の月々5万円でやりくりし、中でも食費は毎月¥3,000でしのぐことになりました。しかし、日本の景気が上向きかけていたことから、学部の時より院生になってからの方が就活がスムーズだったのは救いでした。これで学部の時ほど就活が難航したと思うと、修了(卒業)は不可能だったと断言できます。

 

とある秋口に、教授からおしかりのメールが届くことになります。このまま研究室に来ないと卒業はできないぞという内容ではありましたが、それは一切の感情的文言がなく、いたって冷静な文面だったように思います。私はその翌日などに『もうどうにでもなれ』といった投げやりな気持ちで教授の部屋へ行き、謝りました。教授は特に怒ることもなく、多少の小言は言いはしたものの、『ゼミにはくること』だけを要求したように思います。

それから、私はゼミへ行くようになりました。ゼミへ行こうにも手ぶらでは参加できないため、大型書店でExcelや簡単な言語でできる分析の本を数冊購入し、それを基にそれらしい何かを行って参加しました。ゼミに参加してみて、同期も私が無断欠席したころとあまり変わらない内容をやっていて『みんな難航しているんだ』と思いました。しかしまぁ、教授には『そんな学部みたいなことをやってちゃ卒業できないよ』とは言われましたが。そんな私を見かねてか、ドクターの方が私でもできそうな分析のできる計算式を提示してくれたために、なんとかそれらしい分析をすることができました。

ドクターがいなければ私は修了することはできなかったでしょう。また、幸いなことにドクターと教授のバイトで集められたデータを修論に使えそうだったことや、読み集めてきた論文を見返してみると、ドクターの教えてくれたモデルを用いて分析を行えそうな記事があったことなどが重なり、それらしいことができるようになりました。そこまでいくと、ようやく教授のありがたい知恵や経験を活かすことができ、なんとかかんとか修士論文を完成させるまでに至りました。

最後の2ヵ月前までゼミ以外で研究室に入ることができず、図書館で研究を続ける日々でしたが、図書館でも研究できるような経済系のゼミであったことも救いでした。ゼミへ参加する前は研究室の臭いで決まって吐いていましたが(私がストレスで吐くようになったのは院生のころに癖づいたせいだと思っている)、大学に保管された歴代の修論を見ながら「私の修論の方がマシ、私の修論の方がマシ……」と精神を安定させたりしながらもなんとか書ききることができました。

 

教授が生粋の文系であるためモデルを用いた分析を専門としていないことから『かつさんの前半以外の分析はいらないね』と口頭試問の時に別の教授に言われたりしましたが、なんとか合格を頂戴することができました。

 

3.大学院を修了して

本当の本心から修了はできないと思っていたので、『修論を書くことができた』という事実が私を保ってくれていたり、

就活の時期をずらすことで好景気のときに就活をすることで無駄な時間が削減できたという恩恵がありました(院進学したら不景気になったらまた話は違っているとは思うのでこの例はケースバイケースでしょう)。

しかし、院卒であることから、一般事務への転職の際に「なぜここまでの経歴を持って事務なのか。キャリアを目指さなくていいのか」といった質問を受けたり、前職などでは「院卒なのだから頭がいい」と見られるのには苦労しました。何年前かは知りませんが、今は政府の政策のおかげで、学費を払えば馬鹿でも院生になれる時代です。本当に頭のいい院生はドクターに進むのですから民間に出てくるわけがないのですが、そういう説明をしても『またまた~』で濁されるのには本当に困りました。今でも困っています。

院生になることで今の旦那さんと出会ったり、文章を読むことができるようになったり、人より長く学生ができたりしましたが、もしわが子がなんとなく院進学をしようとしたら全力で止めるような気がします。旦那さんは院生をそれなりに充実したものにさせていたので全力で院進学を勧めそうですけれども。

 

 

<<本記事の総まとめ>>

1.院進学を決意するまで 

 やりたい研究もないのに院へ進学すると本当に辛いものになるよ。「なんとなく」で進学すると、ドクターや教授といった人に恵まれるか、研究にめちゃくちゃ向いていないと修了することは難しいよ。

「なんとなく」で進学しちゃったよ、というキミ! 教授やドクターと研究について話してますか? 週1回じゃアピールは弱いよ! 週2回は話して、教授たちを自分の研究に引きずり込もう! 『助けてください。こんなことをやってみたらこんな結果が出ました』だけでも、教授やドクターは死ぬほどなにかを書いているので、それを論文たらしめる知恵をたっぷり持っています。タダで知恵を拝借しましょう(学費は払っているけど)

 

2.院進学をしてみて

仕送りがないと死ぬんだなと思いました。

何をしたらいいのか分からない、一寸先は闇な状況は、それが続くと人を殺しうるんだなと思いました(大げさではなく)。

学部で卒業せずに、院進学によって卒業のタイミングをずらし、就活という無駄な時間が削減できてよかったなと思います。これは、院生の時の景気が良かったからなので、不景気な時はあまりいいものではないかもしれません。

院進学することで、学生を人より長く味わえたり、研究者という職業を多少なりとも味見できたり、本を読むことができるようになったりしたので、よいことはありました。

修論を書くときは、まず、研究室や大学に保管されている同じ研究室のobである修論や博論をたっぷり読みましょう。特に博論(博士論文。めちゃめちゃ分厚くて読んでもよく分からない)は、参考文献だけでも目を通しましょう。博論は参考文献の宝庫です。特にニッチな分野で修論を書こうとしている人は参考文献を探すことすら難しくなってくるので、博論にリストアップされたそれらを参考にしましょう。マジで役に立つ。これに気付いたのが修論を書き終わってからだったので、本当にもったいないことをしたと思う。

また、修論の書き方は1. 今の状況 2.先行研究でこんなんあるけどここがダメ(あらさがし) 3.そこで私が考えた最強のモデル 4.計測してみた 5.まとめ というように書くとなんとなくそれっぽくなります。何が言いたいのかよくわかる修論になるのでこれを意識して書こう。

いやきっと、本当に優秀な院生からしたら、こんなことは学部までしか通用しないのかもしれないけれど、私はこれでなんとかなったので参考までに……

 

3.大学院を修了して

やめときゃよかった。

 

 

 

ここまで読んでくれてありがとうございます。

私の人生が、誰かの糧となりますように。